2018年 2月「一粒の麦になろう」
ヨハネによる福音書12:23~26
すると、イエスは答えて言われた、「人の子が栄光を受ける時がきた。よくよくあなたがたに言っておく。一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それはただ一粒のままである。しかし、もし死んだなら、豊に実を結ぶようになる。自分の命を愛する者はそれを失い、この世で自分の命を憎む者は、それを保って永遠の命に至るであろう。もしわたしに仕えようとする人があれば、その人はわたしに従って来るがよい。そうすれば、わたしのおる所に、わたしに仕える者もまた、おるであろう。もしわたしに仕えようとする人があれば、その人を父は重んじて下さるであろう。」ヨハネによる福音書12:23~26
「一粒の麦として地に落ちて死んで、豊かな実を結ぶ」これは、イエス様の生き(死に)方でした。
イエス様が十字架で死んでくださったから、全世界の人々、私たちのところに命が流れ始めました。
イエス様は人に命を与える、人を生かす生き方をしました。イエス様は、私たちの罪を取り除き、神様とつながれるように、一粒の麦となって死なれました。
(イエス様の御心は増加することです。拡大することです)
たくさんの麦穂がずっと風にゆられたままだったら、新しい麦は生まれません。地面に落ちてはじめて新しい命が芽生えます。
私たちの歩みも同じです。自分に与えられている時間、力、経済力、健康などを自分のためだけに使うならば、限界があります。見えています。しかし、イエス様の十字架により、浜辺の砂、星の数ほどの人々が救われ、命が与えられるように、自分のためではなくイエス様に捧げるならば、豊かな実を結ぶ将来が用意されているのです。
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