「憐みの器」2016年12月4日

 コリント人への第二の手紙4:27


 「陶器を造る者は、同じ土くれから、一つを尊い器に、他を卑しい器に造りあげる権威がないのであろうか。もし、神が怒りをあらわし、かつ、ご自身の力を知らせようと思われつつも、滅びることになっている怒りの器を、大いなる寛容をもって忍ばれたとすれば、かつ、栄光にあずからせるために、あらかじめ用意されたあわれみの器にご自身の栄光の富を知らせようとされたとすれば、どうであろうか。神は、このあわれみの器として、またわたしたちをも、ユダヤ人の中からだけでなく、異邦人の中からも召されたのである」(ローマ9:21~24)

 陶器師は出来の悪い器を砕き、捨て去る権威があります。罪を犯し続け、神の心を悲しませ、怒らせる器を砕くことができます。

 しかし、神様は、私たちを憐みを受ける器として、ご自身の栄光の富を現そうとしておられるのです。

 器は陶器師の心を映し出します。神は人を神の形に造られました。神は私たち土の器を通し、ご自身の栄光の富を現そうとされているのです。(コリント第二4:27)

 陶器師主は、燃えるような情熱と、葦を折ることない、燈心を消すことのない繊細さをもって、私たちを形作られます。この世に二つとない尊い陶器、神の栄光を現す器として完成してくださるのです。ハレルヤ!

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