「信じるなら神の栄光をみる」2016年6月12日

 ヨハネによる福音書11章40節


 ラザロの死とよみがえりの記事は、イエス様がエルサレムで最後の一週間を過ごす過越の祭が目前に近づいている時のことでした。イエス様は、十字架が間近に迫ったこの時、友として親しく往き来してきた死の中に、人間の罪と罪がもたらす死に対する「激しい憤り」を感じました。また、ご自身が、人間の罪を背負い、十字架に架かり、今だかつてなかった犠牲の死を遂げることを思い、「心騒がせ」たのです。

 ラザロの死という現実を目の前にし、深い絶望と悲しみがその場を覆っていました。

 しかし、イエス様は、父なる神を仰ぎ見て、何と感謝の祈りをささげたのです。

「父よ、わたしの願いをお聞きくださったことを感謝します。…」(ヨハネ9:41)

そして、大声で宣言しました。「ラザロよ、出てきなさい!」

 神は私たちの祈りを聞いてくださいます。今日もご一緒に御言葉を受けていきましょう。

 「キリストは、人としてこの世におられたとき、自分を死から救うことのできる方に向かって、大きな叫び声と、涙とをもって祈りと願いをささげ、その敬虔のゆえに聞き入れられました。キリストは御子であるのに、お受けになった多くの苦しみによって従順を学び、完全な者とされ、彼に従うすべての人々に対して、とこしえの救いを与える者となり…」(へブル人への手紙5:7~10)

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